fum12の日記

ひっそりやってます

冷静になれてる?

ふーーー、近々話し合いをしようとしています。

 

今まで言いたいタイミングはたくさんあったけど、自分が弱いからなのかなとか考えすぎなせいかなとか、自分に非があるだろうから言わないできたんだけど

 

というかきっと怖かっただけなんだと思う、自分に価値がないと知る事が

 

こうやってさ悩みを書いているとやっぱりいつも自己肯定感が低いよね、っていう結論になる。

 

自分のことは好きだ(と思ってる)けど、特定の誰かに激はまりするほどのなにかはもっていないなって気がしていて

 

自分には飛び出た、誰かに刺さるような特徴がないから、私でしか得られない心地よさみたいなものってないんだろうな~って自己分析。

 

例えば、私の友達のNさんは常識の無さというか、日常での感覚がすごい似ていて自分が本当は変だったとしても、自分のことを変だと思わなくていい時間が流れるからすごく心地よくて

 

Kさんは考え方の癖がとっても似てるから、ちょっとあった嫌なこととか、感じたこととか話すと必ず共感してくれて、安心できる

 

Aさんは笑いのツボがとっても似てるから、あ~絶対笑ってくれるだろうなって、私も笑いとまらなくなりそうだな、っておもったことがほんとにその通り起こる、一緒にいて楽しいし笑いが尽きない

 

他にもたくさんいるんだけど、それぞれ何かしら合うな~とかいいなとか思うから一緒にいると思うんだよね。

 

で、自分の性格を振り返ったときに私って何があるんだろう~~~~~って本気で思っちゃったわけさ

 

そのベースがあったうえで、彼が忙しいだとかなんだとかいいながら、一緒に帰ろうとか○日あいてる?とかいう誘いを断るから、忙しいっていうのも本当なんだろうけど、う~んやっぱ私の問題なのかな~ってうじうじ悩んでしまうわけで

 

そんなこんなで気持ちを伝えてなかった

 

でもやっぱ会ってくれないことに対する不満は、自分の自信の無さから来てるんだと思うと、こんな状態で話したところでいい方向には向かないだろうな

 

私の伝えたいことを今のうちに整理しておこう。

 

まず、忙しいのは理解しているけど私に会う時間も作ってほしい

 

あなたは今忙しいみたいだけど、きっと今後も忙しいっていうだろうからこれからの私たちの関わり方を考えたい

 

これからも、会えるのか我慢するのかってずっと考えたくない。その時間は全く楽しくなくてなるべく生活の中からその時間を減らしたいなって思う。

 

いつもの生活の中に私が入ることがあなたの負担になるのなら一緒にいる必要は今はないと思う。でももし私と今後も一緒にいたいと思ってくれているのなら、どうかかわるのか二人のベストな距離感を見つけたい

 

私は会いたいと思ったら会いたいというつもりだけど、あなたの愛情表現についても知りたい

 

という感じかな。少しはすっきりしたかな。これで寝れそう、おやすみ

やっぱり不安定

お父さんが帰ってくると、やっぱりどうしても心が不安定になる、家族へって記事に書いたこと

 

個々のことは好きだし感謝してるんだけど、私の価値っていうか、存在が認められてないなって毎回のように思う

 

私がデザートにブドウを用意したんだけど、なんで誰も食べなかったんだろうな、いつもお母さんが用意するときはみんなすぐ食べるのに

 

誰も食べないから一人でひたすら食べて、でも4人分用意してるから食べきれなくて結局残ったやつ何にも言わずに何にも触れられずにひとりで戻してるの

 

今日はたこ焼きするからご飯の時間を合わせた方がいいと思って、ご飯何時くらいになりそう?私は6時に帰るよってお昼頃から連絡しておいたのに、わかったよって言いながら、6時前に帰った時にはもうほとんど食べ終わっちゃってたの、あれはなんで?

 

大雨でびしょびしょになりながら帰ってさ、帰る時間まで連絡してさ、いつもしないのに

 

あーそういう時、妹なら待ってもらってるんだろうな、私は妹そろそろ帰ってくるから帰ってきてからにしようかって言われてんだろうな

 

昔から私のいない日に私の好きな鉄板料理してることが多かったな

 

ご飯いらないって前もって言ってたのに、当時どハマりしてた餃子家族で食べてたな、あーあ

 

結局私がなにも主張しないのがいけないんだろうな〜何にも言わないから何にも思ってないと思うなよ、こっちはずっとずっと何年も喉のギリギリまででかかって言えてないっていうのに

 

妹みたいな嫌なこととか気に食わないことがあったら機嫌悪くできる人はいいな、周りから大切にされるんだろうな

 

私に価値ってあるんだろうか

なんだろう、なんだろう、このモヤモヤ

なんでこんな気持ちになるのか、分からないので書いて整理したいんですけど、

 

一緒に彼とご飯を作ろうってことになって、彼は料理が上手だと聞いていたので楽しみだなと思って料理スキル見れる!と口にしたら、期待しないで一緒に作ろう?と言われちゃいました。別に任せるつもりはなかったけどそんな風に思われちゃうなと自分の至らなさが申し訳なくてちょっとしょぼんって、

 

その後何を食べたいかと聞かれたので朝は〜、夜は〜がいいな!と伝えたところ、じゃあ夜は任せて、朝は任せる、と。

 

私は料理をほとんどしないということをこれまでに何度か聞かれていたので伝えていましたし、お互いわかっているとは思うのですが、なんかこの言葉にモヤモヤしてしまって

 

ポイントは2つ、まず私が食べたい!と言ったものが肯定されず無かったことになっていること。じゃあ、ってなに?私の食べたいものは、じゃあで片付けられてしまった?結局自分1人で決めるならなんで聞いたんだろう?こういうことは今回だけならまあまあ、で終わると思うんだけど、これまでにも何回か、聞いてくれたから提案したことが彼のこれにしようって言葉で肯定されることなく過ぎてしまったことがあって、その度に私は彼にとって必要なのか疑問に思うようになっていました。

 

これがいいって彼の中で決まっているなら私が居なくたっていいのではないか?2人の意見を混ぜるから楽しいのではないか?もしくは自分の意見が良くなかったのか?でも彼の正解を言うことが私の使命なのか?

 

肯定されることのない私の提案がぷかぷかと宙に浮いて私の周りを埋め尽くす。これも、これも、受け止められることのなかった言葉たち。今回もまた次も受け入れられないかもしれない、それは少し怖いことだ、一旦待って言葉を飲み込む。今度は心の中にぷかぷかと言葉が浮いて私を埋め尽くす。吐き出せない気持ち、言葉のせいで少し息苦しい。

 

私は好きな彼に認められていないことが悲しく寂しいんだと思う、この言葉がぴったりきてはいないけれどこの日記はそのぴったりな言葉を見つけたい訳だし、とりあえずは放置しておこう。

 

だいぶ長くなったけど2つ目は普段あまり私について質問されることがないのに、料理とかするの?って何回か聞かれたこと。

 

会話しててあんまり質問されないから、何か聞きたいことがあるか?と聞いてみても特にない、と。友達期間は長かったとはいえ付き合ってまだまもない、聞きたいことならいくらでもあるように思うんだけどな、少し寂しい。

 

それなのに私が料理できるのか、と言うことは何度か聞かれている。以前、ジムに通っていると言う話をしたら、じゃあ後は料理教室に通ったら完璧だねと言われたことがある。私は料理ができるとなにが完璧になるのか、なにが足りてないから完璧ではないのか、分からなかった。料理ができない女は完璧ではない、っていうことだろう、でも私は他にも運動苦手だし、記憶力もそんなに良くないし、瞬時に言葉を理解するのも苦手だ、色んな人と仲良くすることだって苦手だし、趣味も大してない、掃除だってマメに出来るわけじゃないし、家事なんてほとんどお母さんがやっているのに、私は料理ができるようになったらなにが完璧になるんだろう。

 

私はもくもくと続く疑問を、なにが?と返すことで終わらせた、彼はいやなんでもない忘れてと言った。もうそれ以上は聞かなかった。

 

考えすぎちゃう自分も嫌だ、そんなに意図を持った発言じゃないだろうにこんな気持ちがあるのではないか?と疑ってしまう、自分がいやだ

 

大好きな彼のどこが大好きなのか、もしかしたら私たちはお互いのことを全然知らないのではないか、知るために必要な会話の時間を取れていないのではないか?話し合うことから逃げて相手ばかり悪いように考えてしまうのは私の悪い癖だ

 

次会ったとき、この日記を公開することはないにしても少し胸の内を話してみようと思う。

 

付き合った時に、溜め込まないでなんでも言ってと言ってくれた、これはそのなんでもに含まれるのだろうか?小さいことすぎてなんでもに含まれず、なにそれ?と言われるのがこわい

 

なんだそれ、と思われるのが怖い

めんど、だる、とはおさらば

久しぶりです。

 

最近、ツイッター見るのをやめました。

 

私は大のつくほど影響を受けやすいタイプで、ちょっとしたことで不安に駆られたり、一緒に怒ったりしてしまいます。

 

だから、ツイッターを見ていると刺激の強い投稿が流れてきて辛くなって、気分が落ち込むので自らアプリを削除しました。

 

無くなってから思うことは、日常は何も変わらないということです。無くしたことすら覚えていないから驚きです。

 

それから半年通った陶芸教室を辞めることにしました。陶芸はとても楽しかったです。自分の手で好きな形を作り出すことができるのは、心地の良いことでした。

 

しかし、私にはそこのコミュニティと相性が悪かったのです。もう、本当に相性が悪かったとしか言いようがありません。生徒もたくさんいらっしゃいますし、長年続けている方もたくさんいます。そんな中で私は半年しか続かなかったのは、相性がただただ良く無かっただけです。

 

私の通う曜日は、60代くらいのおじいさん先生と80代くらいのおばあさんがいます。そのくらい歳が離れているから話が、価値観が合うわけないのです。それに私には味方がいませんでした。

 

2人はよく話があっていました。好きな政党、嫌いな生徒、世間の話、どの話題を切り取っても似た意見を持っていました。

 

私はそのどれにも頷けませんでした。特にその場にいると気になるのが、他の曜日に通う生徒の悪口です。あの人はもうだめだ、言うこと聞かない、おかしいと毎週の様に言っています。私は会ったこともない人の悪口を聞いて笑って受け流すことを毎週繰り返しました。

 

それから思想が強いのも気になりました。マスクなんてしなくてもいいよね、ワクチン3回目なんて打つ人意味わかんないよ、あんなの打つなんて馬鹿だね、あ(私の名前)さんもしかして打ってないよね?

 

はい、打ってないですよというしかありません、打ちましたけどね。

 

まあそういう意見を持つことは自由ですが、発言する必要はないと思います。現にこうやって誰かの考えを言い出させなくしているから。相手の考えを言わせない、認めないのは良くないなって思います。

 

そういう訳で逆によく半年持ったなと、私は何度も何度も辞めたいと言おうとしていました。学生でも続けている人沢山いるよ、とかこれ終わったら次はこんなことするよ、とかそんな風に言われてしまったら切り出しにくくなってしまってズルズル続けていました。

 

でもこれで終わり、明日耐えたらもう行かなくていいかななんて思っています。本当はちょっと作業しなきゃ行けないものが残っているんだけど。あー行きたくねぇな、先生のインスタもフォロー外しテェな

 

最後に。あーほんとだるかった、回りくどい言い方すんなよ、居心地悪かったーー

 

とか言わない方がいいんですよね?確認しただけですよ、確認くんです。

 

最近、私はコミュニティに属さない方がいい、属すと精神衛生上良くないなって思っています!将来孤独死しそう!!!誰か結婚して〜〜〜!!!!

考え方の癖を治す(メモ)

https://marupo.com/人のことをすぐ嫌いになる%E3%80%82人とうまくいかない3/amp/

 

この記事と出会ってから、私は今までの言動をものすごく反省した。読んだ当日の落ち込みようは半端じゃなかった。私は傷つけてしまった人のためにも考え方の癖を直さないといけないと考えた。

 

簡単にポイントを残すと、

 

人をすぐに嫌いになってしまう人は、まず自分が嫌いになろうと思っているということを自覚することから始める。その上で、自分の深層心理を理解するとより自覚的でいられるという。

 

深層心理とは、

①自分なりの合う・合わないという判断基準を持っている

 

②自分は正しいと思っている

 

③自分は自分、人は人と割り切ることができず、相手に期待をしている

 

の3つだ。私は①に関しては仲の良い友人に時々話すことがあった。③に関してはこのブログにも「期待してしまう」というテーマでいくつか記事を書いたことがある。②に関しては、実はまだ自覚できていない。きっとそうなんだろうと思う。多分このブログで自信満々に語っていることが証明になるだろう。

 

私はこのドンピシャな特徴を自分が持っていることに再度驚いた。改善するためにどうすればいいか、私なりに考え実践していることがある。

 

まず、アルバイトの前にこのサイトを読んでその日1日意識できるようにしている。

 

それからもしなんかモヤモヤを感じたときに、どうしてそんな気持ちになったのか、相手の言い分は何か考えてみるようにしている。

 

今後は、ここにどうかんじたのか書いていきたいと思う

見直し期

marupoさんの、「人のことをすぐ嫌いになる。人とうまくいかない3つの原因と対処法」という記事を読んだ。

読んで早々、ものすごくショックだった。あまりにも私のことが書かれていたし、その特性のせいで自分がどんどんつらくなっているからだ。

記事のURL、いつか貼る。きっと貼る。

まず何が言いたいかというと、私は最近相手のちょっとした言動に反応してすぐ嫌いになってしまい、自分の周りが敵だらけのように感じることに悩んでいるということだ。

私は自分が好んでこの考え方をするようになったと思う。

というのも、大学に入ってから友達の層?雰囲気?がガラッと変わって、ザ・大学生ばっかりになった(酒!女!自主休講!サークル!のこと)。大学一年生で部活勉強、あらゆることから解放された私は、ザ・な人と仲良くなりたくて、サークルに2つも入ることになった。いわゆる入サーだ。これまで関わったことのない人種に出会い、驚きながらもなんとか這いつくばるように周りと合わせていた。

しかし、それも長くは続かず半年くらいは頑張ったころどうやら私はなじめないらしいと理解した。すると途端に、それまで仲良くなりたいと思っていたザ・を毛嫌いすることで離脱しようと変化した。ザ・な人はくだらない、浅い、うるさいなどなど。本当に思ってると思っているけど、きっと一年生の最初の反動なんじゃないかなと今では思う。私は、良く相手のことを知りもせず、こんな人そうだからと遠ざけるようになった。

その考え方に慣れると、たとえ周りの人と馴染めなかったとしても無理に好かれようとしなくていい、頑張らなくていいと思えてとても楽になった。この体験こそが現在苦しんでいる考え方の癖の大元になっていると思う。

自分が好かれないかもしれないことが怖い私は、相手の嫌な部分ばかり見つけてこの人はこんな嫌なところがあるから好かれなくていいと思うようになった。そうするとすごく楽で、自分が孤独なオオカミになったようなカッコよさや、すがすがしさがあった。でも敵ばかり作り出してしまうその状況が段々しんどくなってきて、どうにか楽にならないかとネットサーフィンしたといういきさつだ。

私はこのことに気づけたから自分を変えたいと思う。一日で書ききることももちろんできるが、それでは意味がないと思う。また明日、その明日もこの問題についてもう少し考えてみたい。今日はここまでにする。

家族へ

前書き

 

もしも、私が家族に感謝の手紙を書くような場面がやってきたとき

 

私にはまっすぐに心から感謝を伝えることができない。そこには長年抱えてきたどうしようもない気持ち、一度も言葉にできず誰にも言えなかった気持ちがあるからだ。それらをなかったことにして手紙を読むと、これまでの辛かった体験が心の中にさえ居場所を失ってしまい辛くかわいそうなのだ。

 

だから自分の中にしかなかったこのわだかまりを家族に話してからまっすぐな気持ちを伝えたい。それを念頭に置いて読んでほしい。

 

本文

 

私は家を出たいと思ったことが3回ある。

 

初めての時は、小学校4年生くらいのとき。当時両親がしつけに厳しく、友達と遊ぶときは暗くなる前に帰ってくるように言われていた。私はそれを破ろうとか思っていたわけではなく、仲の良かった友達(家も目の前にあるところに住む)がまだ遊びたいと言ってくれたので一度家の庭に帰って自転車を持ち、もう一度その子の待つところに向かったことがあった。その時点で空は薄暗くなっていてそろそろ帰らなくてはいけない時間だった。母と妹が家にいて、二人はその音で帰ってきたと思ったらしいがいつまでたってもピンポンはならず、心配になっていた。私は罪悪感を感じながらも友達と遊び、家に帰った。鍵を持たされていないのでピンポンを鳴らすと、母は鍵を開けてくれなかった。近くに友達もいる中で「約束を守れないなら入るな、家に帰ってくるな」と言われた。私はそこまで怒られるのかという衝撃と、友達に怒られているところを見られた恥ずかしさや気まずさで動揺してしまった。小学生という行動範囲の狭い相手に対して家に入るなという制裁は卑怯であり、こうして今もなおトラウマとして傷を残す出来事であった。私はその日中、居心地の悪さを感じつつ反撃できるわけもなく、心の傷はいえないまま夜遅くに帰るということがものすごく怖くなってしまった。そこから今もなお夜は早く帰らないといけないという窮屈さを感じることとなる。私の初めての生きづらさとの出会いだった。

 

二回目は高校2年生の時。特にこのころは母の監視がひどかった。彼氏がいたからか、どれだけスマホの暗証番号を変えても中を見られ、夜中私が寝ていることをいいことにばれないと思ってスマホを見られていることがあった。私はなぜか毎回ではないにしても目が覚め、寝たふりをしながらも普段とは違う母の行動に(普段でも勘が鋭い、監視癖があるなどはあるがこういった行動としてはなかった)とても悲しくなり、捜査の材料になる、と彼氏と遊びに行くだの、こんな連絡くれただの、どんどん言えなくなっていった。それに反比例してどんどん監視や規制が強まっていった。私はとにかく勘繰られないように早く帰ることに必死だった。でも本当は高校二年生。帰り道に寄り道だってしたいし、帰りたくないって言われたらじゃあもう一本後のに乗ろうかって電車を見送りたかった。私は友達の母親との関係を聞いているうちに、この家が窮屈だと感じるようになった。ただでさえ部活に勉強に疲弊している中、この制限は私にとってものすごく負担だった。そんな気持ちを抱えているから、妹が同い年になったとき私がダメと言われていた時間に帰っても何も言われていない様子を見て本当にがっかりした。環境にも母親にも。長女じゃなければ。私が私でなければ。母が母でなければ。私は 今・その時 を大切にできたのにって。いつからか母とは合わないと思うようになった。それは母が私に対して思っていたからかもしれない。もしくは私がいつも比べてしまうせいかもしれない。母は妹と仲が良かった。

 

3回目は大学3年生の時だ。母は妹と仲が良い。私はそこまで仲が良くない。たまに帰ってくる父は妹ばかりを褒め、私のことはマイナスなことで盛り上がりそれ以外は話題にならない。そんな家の中で過ごしていると、私は今までいろんな経験で得てきた自信が保てなかった。父が帰ってくる週末は憂鬱で自尊感情が低くなり、家族の中にいることが、家の中にいることが辛かった。そして私はそれが無意識的に行われているのを知っていた。両親ともに教育にもお金をかけてくれるし、とても私たちを大切にしてくれているのは伝わっていた。だからこそ私があまり認められていない空間に耐えられなかった。妹がうらやましかった。私は努力して努力して褒められるよう認められるよう何事も頑張ってきたのに、まあ頑張ってないと言いたいわけではないけど帰宅部で塾にも通わずいつでも家にいて母と一緒に過ごしていた妹が、専門学校に行き 就活している私より忙しくなりだした途端に話題になり褒められている。その家族という空間が耐えられなかった。正統派の気が利く天然な模範的な妹を見て、私はどんどん 変わり者 、という模範から外れるような道にそれていったように思う。頑張って入った大学。今まで部活に勉強に休む暇なく動いてきた私は社会人になるまでたくさん遊ぼう、楽しいことをしようと思っていた。確かに4年制大学の文系は楽で授業も大したことはやってない。だから言われるのは仕方ないけど、妹の専門学校の方がお金払う価値ある、だから学費返してって言われたときは今までの努力が否定されたような気がして悲しかった。

 

小学生では家出しようと思った私も経済力を多少なりとも持ち、一人暮らししようと思えるまでに成長した。そして今まで話せなかった嫉妬?妬み?はこれを家族に伝えたこと(こうして日記として世間に公開したこと)で相殺しようと思う。その上でこの気持ちとは比べられないほどのたくさんの感謝をしかるべきタイミングで伝えたい。

 

私はほんとうにほんとうにこの家族でなきゃなし得なかったことが沢山あるのだ、それとこれとはまた別だとちゃんと分かっている。だから家族のことは好きだし、社会人になったら親孝行しようと思っている。

 

くれぐれも家族に伝わらないように頼む。