fum12の日記

ひっそりやってます

家族へ

前書き

 

もしも、私が家族に感謝の手紙を書くような場面がやってきたとき

 

私にはまっすぐに心から感謝を伝えることができない。そこには長年抱えてきたどうしようもない気持ち、一度も言葉にできず誰にも言えなかった気持ちがあるからだ。それらをなかったことにして手紙を読むと、これまでの辛かった体験が心の中にさえ居場所を失ってしまい辛くかわいそうなのだ。

 

だから自分の中にしかなかったこのわだかまりを家族に話してからまっすぐな気持ちを伝えたい。それを念頭に置いて読んでほしい。

 

本文

 

私は家を出たいと思ったことが3回ある。

 

初めての時は、小学校4年生くらいのとき。当時両親がしつけに厳しく、友達と遊ぶときは暗くなる前に帰ってくるように言われていた。私はそれを破ろうとか思っていたわけではなく、仲の良かった友達(家も目の前にあるところに住む)がまだ遊びたいと言ってくれたので一度家の庭に帰って自転車を持ち、もう一度その子の待つところに向かったことがあった。その時点で空は薄暗くなっていてそろそろ帰らなくてはいけない時間だった。母と妹が家にいて、二人はその音で帰ってきたと思ったらしいがいつまでたってもピンポンはならず、心配になっていた。私は罪悪感を感じながらも友達と遊び、家に帰った。鍵を持たされていないのでピンポンを鳴らすと、母は鍵を開けてくれなかった。近くに友達もいる中で「約束を守れないなら入るな、家に帰ってくるな」と言われた。私はそこまで怒られるのかという衝撃と、友達に怒られているところを見られた恥ずかしさや気まずさで動揺してしまった。小学生という行動範囲の狭い相手に対して家に入るなという制裁は卑怯であり、こうして今もなおトラウマとして傷を残す出来事であった。私はその日中、居心地の悪さを感じつつ反撃できるわけもなく、心の傷はいえないまま夜遅くに帰るということがものすごく怖くなってしまった。そこから今もなお夜は早く帰らないといけないという窮屈さを感じることとなる。私の初めての生きづらさとの出会いだった。

 

二回目は高校2年生の時。特にこのころは母の監視がひどかった。彼氏がいたからか、どれだけスマホの暗証番号を変えても中を見られ、夜中私が寝ていることをいいことにばれないと思ってスマホを見られていることがあった。私はなぜか毎回ではないにしても目が覚め、寝たふりをしながらも普段とは違う母の行動に(普段でも勘が鋭い、監視癖があるなどはあるがこういった行動としてはなかった)とても悲しくなり、捜査の材料になる、と彼氏と遊びに行くだの、こんな連絡くれただの、どんどん言えなくなっていった。それに反比例してどんどん監視や規制が強まっていった。私はとにかく勘繰られないように早く帰ることに必死だった。でも本当は高校二年生。帰り道に寄り道だってしたいし、帰りたくないって言われたらじゃあもう一本後のに乗ろうかって電車を見送りたかった。私は友達の母親との関係を聞いているうちに、この家が窮屈だと感じるようになった。ただでさえ部活に勉強に疲弊している中、この制限は私にとってものすごく負担だった。そんな気持ちを抱えているから、妹が同い年になったとき私がダメと言われていた時間に帰っても何も言われていない様子を見て本当にがっかりした。環境にも母親にも。長女じゃなければ。私が私でなければ。母が母でなければ。私は 今・その時 を大切にできたのにって。いつからか母とは合わないと思うようになった。それは母が私に対して思っていたからかもしれない。もしくは私がいつも比べてしまうせいかもしれない。母は妹と仲が良かった。

 

3回目は大学3年生の時だ。母は妹と仲が良い。私はそこまで仲が良くない。たまに帰ってくる父は妹ばかりを褒め、私のことはマイナスなことで盛り上がりそれ以外は話題にならない。そんな家の中で過ごしていると、私は今までいろんな経験で得てきた自信が保てなかった。父が帰ってくる週末は憂鬱で自尊感情が低くなり、家族の中にいることが、家の中にいることが辛かった。そして私はそれが無意識的に行われているのを知っていた。両親ともに教育にもお金をかけてくれるし、とても私たちを大切にしてくれているのは伝わっていた。だからこそ私があまり認められていない空間に耐えられなかった。妹がうらやましかった。私は努力して努力して褒められるよう認められるよう何事も頑張ってきたのに、まあ頑張ってないと言いたいわけではないけど帰宅部で塾にも通わずいつでも家にいて母と一緒に過ごしていた妹が、専門学校に行き 就活している私より忙しくなりだした途端に話題になり褒められている。その家族という空間が耐えられなかった。正統派の気が利く天然な模範的な妹を見て、私はどんどん 変わり者 、という模範から外れるような道にそれていったように思う。頑張って入った大学。今まで部活に勉強に休む暇なく動いてきた私は社会人になるまでたくさん遊ぼう、楽しいことをしようと思っていた。確かに4年制大学の文系は楽で授業も大したことはやってない。だから言われるのは仕方ないけど、妹の専門学校の方がお金払う価値ある、だから学費返してって言われたときは今までの努力が否定されたような気がして悲しかった。

 

小学生では家出しようと思った私も経済力を多少なりとも持ち、一人暮らししようと思えるまでに成長した。そして今まで話せなかった嫉妬?妬み?はこれを家族に伝えたこと(こうして日記として世間に公開したこと)で相殺しようと思う。その上でこの気持ちとは比べられないほどのたくさんの感謝をしかるべきタイミングで伝えたい。

 

私はほんとうにほんとうにこの家族でなきゃなし得なかったことが沢山あるのだ、それとこれとはまた別だとちゃんと分かっている。だから家族のことは好きだし、社会人になったら親孝行しようと思っている。

 

くれぐれも家族に伝わらないように頼む。