こんばんは。投稿15日目です。
なんか楽しい話がしたいなあ。なんて思うんですが、楽しいことと言ったら恋バナくらいしか思いつかなくて、でもそれだと知り合いにばれてしまう可能性があるので恥ずかしくてできません。(以前記事にしましたがそういった理由で非表示にしました。)
実は私バイトを掛け持ちしておりまして、もうひとつは塾講師をしています。今日の生徒さんは小学生が2人いたのですが、それはそれはもうかわいかったですね。
英語の授業で I went to Kyoto. っていう文があって、じゃあこれ読んでみてって言ったんですね。そしたらその子が「アイ ウェント トゥ トーキョー」って読んじゃって、すぐに「あ!キョウトだ!もうなんで似てるんだよう」っていってて、ときゅんってなりました。
それから Today Tom went to Kinkakuji. っていう文もあってkinkakujiが読めなかったらしく、なにこれ?!キ、ン、カ、クジ!!金閣寺だ!なにこれ~なんかへんなの~!っていってて。なんて平和なの~~~となりましたね。
ってか小学生でこんな文読めるの強すぎませんか??今ってこんなもんなの?こわい。
今日のバイトでの私的ナイス声掛けをお知らせします。
生徒にいろんな手段を使って宿題をしてこない子がいたんですね。別の先生からその話は聞いていたので、今週はどうかな?と思い宿題やってきたー?ときいたら「プリントを塾において来ちゃってできなかった。」と言われたので、いつもの手段かな?と思いながらも「そっかじゃあまた印刷するから来週持ってきてくれる?」と声をかけてプリントを渡しました。そして「今カバンにしまっちゃえば忘れないんじゃない?!今しまっちゃおうよ」といって、来週の言い訳をなくすことにおそらく成功しました。
授業が始まりちょっとした時間があったので、宿題をよく忘れてしまう件について少し触れたほうがいいかなとおもったんですね。でも私はそこで「なんで宿題やってこないの?」と言わず、「宿題出されるとどう思う?」と聞いたんです。
これわかりますかね?なんかすごいキレイだなあって思ったんです。生徒さんのことをなんでやんなかったの?って責めるわけでは決してない。だから生徒さんは傷つかない。でもこちらとしてはやってこない理由を知りたい。だから宿題を出されることについてどう思うのかって、きちんとその子の気持ちを聞いてあげる。きっとやりたくないのには理由があると思うから。
そしてその子は「たまに多すぎるとやりたくないって思っちゃうんだよね。」って教えてくれました。私は「そっか~。どれくらいだと多いって感じる?」ときくと、彼女は「4ページくらいだと多くていやだ。」と言っていました。
それがわかったなら、こちら側は4ページ以上出さないようにすればいいのです。そしたら彼女は嫌だなあ、多いなあ、めんどくさいなあと思わずにやってくれるのですから。まあこれが本当の理由だったらですけどね。
現に今週の宿題は2ページだったけど、やってきていないわけですから。まあ今回はほんとうに塾に置いていってしまったのかもしれませんが。
私は宿題をやってこないことを必要以上に責める必要はないと思っています。もちろんやらなきゃいけないことをやっていないことは、きちんと怒らないといけないと思います。でも、怒られたことで「なんか勉強って楽しくないな~」と思ってほしくないのです。宿題なんてやってもやらなくても、正直どっちでもいいです。
それよりいろんなことに興味を持って、どんどん吸収していくほうが大切だと思います。今大学生となってこの宿題制度を見直すと、本当に必要だったのかな~とか思ってしまいます。
私の小学校では、宿題を忘れると教室の前に立たされて、一人ひとりなぜ忘れたのかを発表しなきゃいけませんでした。そのほかにも、なにか忘れたり期限に間に合わないと、先生にかなりしつこく問い詰められ怒られました。
この教育が生むものは、宿題や勉強への義務感です。怒られないために、勉強する。怒られないために、宿題をする。
本来勉強とは、とても楽しいことだと思います。私も新しいことを学ぶのは楽しいです。しかし学校ではその楽しさより、こっちが課した期日や宿題にいかに従順であるかが重要視されているような気がします。
その弊害ってきっと思わぬところにまで広がっていると思っています。宿題なんてやらずに、元気に遊ぶ、知りたいこと、好きなことにとことん取り組む。小学生なんてこれで十分じゃないですか?
社会に出ると、成績のいい人=仕事ができる人ではないのです。いろんなことにぶつかってその度に考えて。そして今を楽しんでいる人が結局成功するんですよ!
私の宿題観はいかがでしょうか?変ですかね。でも楽しく勉強できたらそれが一番じゃないですか?
今日もお読みいただきありがとうございました。おやすみなさい。